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プログレ狂の詩

魅惑的なプログレッシブ・ロックとアナログ・レコードの世界を、独断と偏見でディープに語ります。

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  • 2014⁄03⁄30(Sun)
  • 16:14

光明

キングレコードのヨーロピアンロックコレクションは僕が大学3回生だった1979年にスタートしました。初回の8枚の中で特に気に入ったのが、Osanna"MIlano Calibro 9"とNew Trolls"Concerto Grosso1"の2枚でした。

 英国の5大プログレバンドの持つスマートさや格好良さはありませんでしたが、僕が暇つぶしに時々聴いていたクラシックの要素をふんだんに取り入れたそのサウンドは、それまでの欲求不満を解消するには十分でした。それまでイタリアのグループと言えばPFMしか知らなかった自分にとっては、まさに宝の山を掘り当てた気分でした。
 それに、学生にとって1枚¥1,800という値段も魅力的でした。ですから、それ以降各社からいろいろなシリーズが立ち上がったこともあって、買うレコードは専らこれらユーロ再発系が中心となっていきました。
 皆さんもご存じのように特にイタリア系の深堀り傾向は凄まじく、その後は文字通り重箱の角をほじくる様な再発が次々となされていきました。

 人間は欲どしいもので、このユーロ系の再発ブームを通じて知ることとなった、それこそ星の数ほどある新たな未知のグループの音をもっと聴いてみたいと言う想いがだんだんと強くなっていきました。今ならYouTubeで検索をかければ、すぐに聴きたい音が聴けますが、当時はレコードを聴くしかその方法はありません。しかし、京都や大阪のレコード店でそんなマイナーなレコードを見つけることは出来ませんでした。お金に限りのある学生の身分では、ユーロ再発系をひと月に5枚買うのがやっとです。またもやじわじわと欲求不満が高まっていくなかで、学生生活が終わろうとしていました。

 そして、就職活動が近づくにつれて、時間的にも精神的にもプログレに触れる機会が減っていきました。そして1982年の春、ついに社会人になる時を迎えました。文字通り、安気にプログレを聴いているような立ち位置では無くなったのです。
しかし、しばらくしてそんな暗鬱な気分を吹き飛ばす新しい音楽の波が、あの大英帝国からもたらされたのです。
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はじめに
  • 2014⁄03⁄16(Sun)
  • 15:56

暗中模索

僕が大学に入ったのが1976年。初めて松山の親元を出て、京都での一人暮らしが始まりました。
大学に入った途端に、周りの同級生たちは当然のようにタバコを吸い始めましたが、僕には一つだけ心に決めていたことがありました。それは「タバコを吸う代わりにレコードを買う」ということでした。
 1日1箱吸うとして、1箱200円で月に約6千円。6千円あれば輸入盤であれば4、5枚は買える計算になります。『煙となって消えていくかわりにレコードが残る!しかも健康にいい!』という大義名分を得たかったのです。
結局は、親に対してレコード買いを正当化する言い訳に過ぎませんでしたが、おかげで現在に至るもタバコは吸わなくて済みました。
もちろん、買ったレコードは月に4、5枚を大きく超えてしまいましたが…。

 京都にはレコード店が松山よりはるかに沢山ありました。その頃よく通っていたレコード店を挙げてみると、十字屋、リバーサイド、優里奈、ダン、LPコーナー…。
 しかし、その頃すでにプログレを巡る環境は大きく様変わりをしていました。5大プログレバンドは衰退の一途を辿り、世の中はパンク一色に染まろうとしていた時代です。

 そんな頃の逃げ道は、「Fool's Mate」という音楽雑誌でした。この雑誌を知った頃には既にプログレ色が随分薄くなっていたので、必死でバックナンバーを探したのを覚えています。古き良き時代のプログレがそこにはありました。
 そしてもう一つが「Marquee Moon]。いかにも!といった表紙のデザインと、あくまでもプログレにこだわった内容に魅かれました。
 そして、ブリティッシュを始めとしてイタリア、ドイツ等のマイナーなプログレバンドの存在を知ったのもこれらの雑誌と通じてでした。しかし当然のことながら既に廃盤となっていたそれらマイナー系のグループのレコードが普通のレコード店に並ぶことはなく、ましてや音を聴くことなど全くの夢物語でした。「プログレが聴きたくても聴けない」という状態に変わりはなく、根本的な欲求不満の解消には程遠い状況でした。

 そんな中で、Univers ZeroやHenry Cow,Art Zoyd,Thid Heatといった所謂レコメン系に範囲を広げ「これが今のプログレなんだ」と自分言い聞かせて手を出してはみたものの、結局のところ自分にとっては、プログレモドキにしか過ぎませんでした。
 そして1979年、大学3,4年生の頃に一大転機が訪れます。それは、キングレコードによる再発シリーズ「ユーロピアンロックコレクション」の開始です。
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はじめに
  • 2014⁄03⁄15(Sat)
  • 17:43

プログレの夜明け

僕が最初に買ったプログレのレコードは、友達に借りて感動したE.L&Pの「展覧会の絵」でした。その後もシカゴのアルバムはリリースされる都度買っていましたが、初期の持つ前衛的な要素がだんだんと薄れていくにつれ興味を失っていきました。その代わりに夢中になっていったのがプログレでした。

その後は、イエスの「危機」やピンクフロイドの「おせっかい」といった、所謂プログレの王道を突き進み始めることとなったのです。
 そして僕が中3~高校生の頃にかけてリリースされた「狂気」「恐怖の頭脳改革」「暗黒の世界」「チューブラーベルス」「フェードラ」等々で、完全に虜になってしまいました。

 高校生時代は日本でも文字通りプログレの全盛時代で、音楽雑誌「Music Life」の人気投票でも、EL&Pを筆頭にBEST20の中に7,8グループが入るといったモノ凄い時代でした。しかし、高校生の後半(75~76年)にさしかかってきた頃から、だんだんと様相が変わり始めました。Crimsonの解散、Peter Gabrielの脱退、E.L&Pのマンネリ化…。それらに抗うように、Britishのマイナー系にも触手を伸ばしましたが、5大バンドのサウンドに慣れた耳には、まったく満足できませんでした。

そして、僕のプログレ人生にとって暗黒とも言える大学生時代へと突入していくのです。
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はじめに
  • 2014⁄03⁄06(Thu)
  • 06:34

プログレ前夜

まずは、自己紹介も含めてプログレ狂になるに至ったこれまでの音楽遍歴を簡単に書こうと思います。
 
私は1958年にサラリーマン一家の4人家族の長男として生まれました。
最初に、音楽というものを意識したのは11~12歳頃からでしょうか。オールジャパンポップ20というヒットチャートもののラジオ番組をよく聞いていたのを覚えています。何故かその頃から洋楽ばかりを聴いていました。
その頃の記憶に残ってるアーティストは、エルトン・ジョンやサイモン&ガーファンクル、カーペンターズ...。1970年前後というと既にCrimsonの「宮殿」もリリースされていましたが、小学生の僕は知る由もありませんでした。
 そして僕が12歳の時に生まれて初めて買ったレコードが、ポール・マッカートニーのシングル盤「アナザー・デイ」です。もちろん、今でも大事に持っています。それが、私のレコード人生の始まりでした。

 そして中学生となり、友達との会話も音楽の話題が中心となっていきます。そして最初に夢中となったアーティストが、シカゴでした。意外に思われるかもしれませんが、今思うと初期のシカゴのアルバムには組曲的な要素が加わった長尺の曲が多くあり、印象的なブラスセクションにも大きな魅力を感じていたのだと思います。同じブラスロックと言われていたブラッド・スウェット&ティアーズとは一線を画すものでした。

 その頃僕の周りには音楽好きの友達がたくさんおり、僕はシカゴ、A君はビートルズ、B君はユーライア・ヒープ、C君はディープ・パープル、そしてD君はウィッシュボーン・アッシュといった感じで、友達同士でよく、自分のご贔屓グループを自慢し合っていました。

 そんな友達の中に、イエスが好きなE君がいたのです。そしてE君に借りたイエスの「危機」を聴いてから、僕の永い波乱万丈のプログレ狂人生が始まることとなったのです。
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はじめに

プロフィール

prognet

Author:prognet
世界中のプログレッシブ・ロックやブリティッシュ・ロックが大好きな50代男性。
CDや配信音源では絶対に味わえないアナログ・レコードの持つ魅力を、マニアックにそしてディープに紹介していきます。

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